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Monday, April 6, 2020

まるで物語のように 自然のなかのいのち:朝日新聞デジタル - asahi.com

 「母の食器を洗う音と、鳥の鳴き声と、風が窓をたたく音の中で、父は逝きました」

 臨終を告げたぼくに、娘は穏やかなそしてしっかりした声で言った。この言葉をこの場面で聞かされたことに、ぼくは驚いた。

 在宅での最期は家族とともに生活する中で、自然を感じる時間があるのが素敵なのだと、ぼくはいつも信じてきた。そのぼくではなくて家族からこんな言葉を聞くのは、心底うれしかったし、一編の詩のような響きを感じた。

 患者さんは七十四歳。肺がんでいろいろな治療を一年半にわたって、百キロ離れた高知市の公立病院で受けてきた。状態はよくならず、地元の病院に通院していた。肺炎で入院したあと、もう入院はしないと家族に話したそうだ。

 娘から大野内科に在宅医療の依頼のメールが来た。もともとのかかりつけの病院も在宅医療をしていることから、一度は躊躇した返事をした。

 ほどなく、妻が来院した。「夫の診察だけでなく、私たち家族を支えてくれる在宅医療が希望です。ぜひ引き受けてほしい」との話だった。呼吸器の病気の在宅医療の難しさを話したが、妻の希望を聞くことになった。

 初めての訪問日。この家で死ぬと決めた患者さんに「まるで別荘みたいなところですねえ」と、言葉をかけた。四万十川の支流に沿って往診車を走らせて、最後は一車線の山道をやっとたどり着いた家だった。

 咳と血痰と胸の痛み、夕方に熱が出ていた。これからの大変さを思いつつ診察を終わった。

 熱と胸の痛みのために、ごく普通の鎮痛剤の飲み方を変えて、熱が出なくなった。痛みも感じなくなった。

 「下剤を飲んでも何日も便が出ない」と、連絡があった。手袋をして便を肛門からかき出した。摘便とぼくたちが言う処置だ。「ぼくはこれが得意なんです」と軽い言葉をかけながら、何回も繰り返した。

 一週間後、また連絡があった。同じように大量の便をかき出した。「何万円かかってもいいから」と、患者さんは処置中のぼくに冗談を言った。

 食事はとれていた。動くのが大変になったが、痛まなかった。とろとろする時間が長くなった。「家にはモルヒネが流れている」と、ぼくはいつも言う。麻薬を使わず、一日一日を積み重ねた。

 呼吸がいつもと違うとのことで、夜に診察に行った。診察を終えて家族とともに庭に出ると、ハクビシンが足元を走り抜けた。

 週末を乗り切った朝、診療所の外来診療の前に訪問した。患者さんの診察をして、妻と娘とぼくとで話をした。ベッドの患者さんの穏やかな息を見つつ、しみじみの話ができた。

 その三時間後、患者さんは最期を迎えた。娘の言葉のように、生活があり、自然を感じつつの最期だった。まるで、患者さん自身がシナリオを書いた物語のような。

<アピタル:診療所の窓辺から>

http://www.asahi.com/apital/column/shimanto/

拡大する写真・図版<今月の言葉> 孫のために草で小さなブランコを作ってあげた患者さんがいました。そのブランコを手で揺らしながら、孫といのちの話をします。子どもの悲惨な事件を聞くたびに、いのちは温かな触れ合いの中で育ってほしいと思います。一方で年をとったら、若者にブランコに乗せてもらって、いい気持ちに揺らしてもらいませんか。

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